大覚院本堂 大覚院は、もとの西海神村と船橋山谷海神の境、現在の海神三叉路際にあり、龍王山海蔵寺大覚院という。真言宗豊山派の寺である。

 天正十七年八月五日、権大僧都法印秀巌和尚の創建と伝えられるが、これより古いともいわれている。寺でも中興の僧を権大僧都法印秀巖というと伝える。この秀巌の時代に山号寺号をも改め、あるいは宗派をも改め、寺観を一新したと思われる。
 もとは鎮守龍神社の別当であり、海上安全を祈る寺であった。

 立ち並ぶ歴代住僧の墓碑の中でも享保十五年五月に亡くなった、中興の祖祐尊の墓碑が特に大きい。現在の住職は第三十二代になる。本堂に本尊の大日如来が安置されている。明治二十六年五月、行徳町四丁目の仏師、浅子周慶の作である。延宝三年乙卯年七月一之日と刻した『三界萬霊有無両縁霊位』の位牌が祀られ、過去帳は宝暦年間以来のものが伝えられている。また境内墓地には寛永、元禄時代の墓碑が見られる。天保二年の『葛飾郡西海神村塩浜検地帳』(非公開)が残存し貴重である。

 徳川時代に御朱印地はなかったが、昔から農村にしては栄えた寺であった。明治維新−船橋戦争の際、大覚院周辺まで徳川方脱走兵が来たが、幸いに兵火はまぬがれた。本堂は、大正十一年六月大改築をし、現在に至る。昭和五十八年、四国の地形を模した庭園に、六尺の修業大師の像が建立され、八十八の敷石の下に、四国の各寺のお砂がうめられ、参詣する人が多い。

大覚院空撮 ここは特に赤門のある事で有名であり、附近の人々は赤門寺ともいって親しんでいる。以前には「あかもん幼稚園」が併設され、門前にあった京成のバス停は赤門前と称していた。

参考
 『船橋市史』 前編 昭和34年3月 船橋市役所
 『葛飾誌』 昭和63年10月 成瀬恒吉大覚院

大覚院の暦